もつれない患者との会話術
ポイント
生存率の高い医療機関,手術に長けた医師の治療を受ける患者ほど,完治に対する期待度が高まります。その一方で,結果が悪いほど落胆し,期待を裏切られた患者家族(遺族)は納得がいくまで医療機関側に説明を求めるようになります。
このため,まず治療前にこの治療法でどの程度のことが期待できるのかを説明し,“過度な期待”を抱かせないようにすることが必要です。
次に,不幸な結果に至った場合,患者家族(遺族)への説得方法は,とにかく適切な治療を行ったこと,最善の手を尽くしたことを,時間をかけて説明することに尽きます。
医療訴訟にまで発展してしまった場合は高度の蓋然性の証明が求められます。その場合,公判時に立証できるよう,日頃から診療に関する記録は正確に記すこと,患者家族・遺族への説明内容を記録に残すことが必要です。
解説
「期待権」という言葉をしばしば耳にすると思います。医療の世界では,医師・医療機関に対して患者が治癒・改善を「期待する権利」ということなのでしょうか。医療訴訟でもますます使用頻度が高くなると思われますが,最初に使われ出したのは,昭和50年代からと言われています。
そもそも「期待」とは「(1)あてにして待ち受けること(2)心待ちにすること」(旺文社国語辞典)という意味です。また,言葉に「権」をつけると,「守られるべき社会的な価値」となり,眺望権,嫌煙権,通行権,優先権など,いろいろな「権(利)」があります。
見方を変えると,「権利」とは「侵害された場合には,その損害を補償せよ!」という意味になります。
医療における「期待権」については,福岡地裁昭和52年3月29日判決において,具体的に,「十分な患者管理のもとに診察・診療行為をしてもらえるものと期待する権利」と解されています。つまり,適切な診療が行われれば救命された(後遺症を残さなかった)相当程度の可能性があることを意味していると言えます。
過去の医療訴訟の中から,「期待権」について2つの判例を紹介してみます。
前述の福岡地裁昭和52年3月29日判決では,「……十分な患者管理のもとに診察・診療行為さえなされていれば,ある結果も生じなかったかもしれないという蓋然性がある以上,十分な患者管理のもとに診察・治療をしてもらえると期待していた患者にとってみれば,その期待を裏切られたことにより予期せぬ結果が生じたのではないか,という精神的打撃を受けることも必定というべく,右にいう患者の期待は,診療契約において正当に保護されるべき法的権利というも過言ではない。……」と述べています。
また,東京地裁昭和51年2月9日判決では,「……即ち,患者としては死亡の結果は免れないとしても,現代医学の水準に照らして十分な治療を受けて死にたいと望むのが当然であり,医師の怠慢・過誤により,この希望が裏切られ,適切な治療を受けずに死に至った場合は,甚大な精神的苦痛を被るであろうことは,想像に難くない。本件の場合は,前認定の通り患者が被告に対し精密検査を受けることを希望したのにかかわらず,この希望は被告によってついに無視され,適切な治療を受けることなく死期を早まらせたのであるから,患者は前記債務不履行により甚大な精神的苦痛を被ったものと認めるのが相当である。……」と述べています。
判決文のポイントは,「患者は適切な治療を受けたいがために受診するのであり,かつ適切な治療を受ける権利(期待)を有している」ことを明文化したことです。
このことから,「医師が故意または過失により適切な治療を怠った場合,つまり,患者・家族の期待を裏切った場合,精神的な苦痛などが生じてしまったことに対して,因果関係がはっきり証明できない場合であっても,慰謝料を払いましょう」という理論構成となるのです。これが「期待権」および「期待権の侵害」の基本的な考え方と言えます。
医療機関の対応
●治療前に行うこと─患者・家族に過度な期待を抱かせない
病気やけがで治療を受ける患者からすれば,なんとか病気を治したい,元の体に回復したいという気持ちがあって医療機関を受診しますが,すべての病気やけがが完治するほど現代の医療が進歩しているわけではありません。医療に対する患者の“過度の期待”が,「裏切られた」という結果に結びついてしまっているのではないかと思います。
手術の際,医師が「この手術の成功する確率は40%です」という説明をすると,医師としては「60%の患者さんでは成功しない」ことを匂わせていますが,逆に患者側は「40%の成功率ということは,その中に自分も入る!」と確信してしまう例が多く,こうした受け止め方の違いによって死亡後に訴訟となってしまうのが現実です。
そして,このような説明方法を続ける限り,医師・患者双方が歩み寄れることはないと思われます。治療法の説明に当たっては「状態によっては延命できる場合もあるが,成功する確率が限りなく低いこと,死をも覚悟すること」といった内容を伝え,過度の期待を与えるような説明を慎むのが無難だと考えます。
●不幸な結果になった場合─患者家族・遺族をどう説得するか
治療の過程で不幸な結果となってしまった場合には,医師及び医療機関に対して不信感を強く抱くことから,経緯をどんなに詳細にかつ丁寧に説明したところで納得していただけません。だからと言って,説得を中断しては訴訟に発展する場合もありますので,患者家族・遺族の求めがあれば応じ,求めがなければ医療機関側から問いかけしてでも十分時間をとって説明を行うことに尽きます。
そして,なぜ不幸な結果に至ったのか,適切な治療を施したこと,不幸な結果を回避できなかったことなどを誠実に繰り返し何回でも説明することです。そして,患者家族・遺族に対して「どのような治療を施しても良い結果が生じなかったこと」を自覚させることです。説得には相当の期間を要するものと思われますが,訴訟に発展することを考えれば,患者家族・遺族が納得するまで説明に応じることが必要です。
●医療訴訟に発展した場合─医療機関・医師側に責任がないことを証明する
医療訴訟において,医療機関・医師(被告)側に責任がないことを主張しようとする場合,「高度の蓋然性」の証明が求められます(療養指導の責任参照)。
●これからの国民,医療に必要なこと
「期待権」が認められてきたのは,不幸にして被害を受ける結果となってしまった患者を救済するためということに尽きます。本来医療においては,治らない,治せない病気がたくさんあるにもかかわらず,“過度の期待”を医療に求める結果が訴訟に発展してしまいます。
医師の大多数が救命措置を必死で行い,にもかかわらず不幸な結果となってしまって遺族から損害賠償を求められたら,今後,医師のなり手がない状況となってきます。
書店では「楽しい老後の過ごし方」など老後の過ごし方のハウツー物はありますが,死に関する書物は最近ポツポツ出はじめたところです。国民に,医療には限界があること,人はいずれ死ぬものであること,人の体にメスを入れれば合併症や後遺症が発生する場合もあることなどを広く知らしめる必要があります。
一方,適切な医療を施し,故意や過失がなければ,期待権の侵害で訴えられることはないということを念頭に置き,日々の診療に当たることだと思います。
参考文献
- 尾崎孝良:日医総研Annual Report. 2005;1:57-70.
- 田邉 昇:外科治療. 2006;95(5):560-2.
- 神保勝一, 他:STOP! 医事紛争. 第2版. メディカルクオール(株), 2007.
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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支払いにまつわる会話術 |
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診察室での会話術 |
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看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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