もつれない患者との会話術
ポイント
患者からの贈与は,本当に感謝の意味を込めた謝礼もありますが,むしろ自分だけに良い医療をしてほしいという気持ち(依頼)を込めた謝礼もあると考えるべきです。医療機関としてどう謝礼について対処すべきか,ある程度明確なコンセンサスを設けておくことが必要です。
解説
わが国は昔から「謝礼社会」と言われ,何かにつけ金品の贈与が行われてきました。
代表的なものとしては,お中元・お歳暮があります。良くも悪くも日本の文化なのですが,医療機関の場合,単に「文化」では片づけられないものがあります。
では,全国の医療機関で年間どのくらいの謝礼金額が渡されているのでしょうか。東京医科歯科大学大学院医療経済学分野の川渕孝一教授の2005年の調査によりますと,おおよその推計で国民医療費の約1.1%にあたる3,322億円に達しているということです。謝礼廃止の機運が高まってきたとは言え,まだまだ根強い慣習であることがうかがわれます。
医療機関の対応
2004年に某公立医科大学附属病院で次のような事件がありました。
家族から患者の手術を執刀する講師に80万円,上司である教授に30万円が渡っていたものの,術後に患者が急死。死因の説明に納得しない家族の要請に応じて,2人は全額返金。その後,事件が発覚し,地方公務員法違反「信用失墜行為」に該当する可能性があるとして教授と講師を処分する方針が示されたのです。
公務員については,国家公務員であれ,地方公務員であれ刑法第197条「収賄罪」となる可能性もあり,現在はどこの国公立病院も金品を受け取らない方針を打ち立てています。しかし,民間病院では特に法に抵触するようなこともないことから金品を受領するケースがまだまだあります。
ただ,民間病院であっても,謝礼を受け取り,それに伴い相手に便宜を図りかつ病院に何らかの損害を与えた場合には刑法第247条「背任罪」に該当する場合もありますし,患者に有利な虚偽の内容を診断書に記載でもすれば刑法第159条「有印私文書偽造」の罪に問われることもありえます。
一方で,就業規則などで罰則規定を設けている医療機関もあり,民間病院でも謝礼廃止を病院全体で取り組むところも増えてきています。
患者からの謝礼には2通りあると思われます。
1つは治療にあたってくれた医師に対する心からの感謝の気持ちの表れと,もう1つは見返りを期待しての場合です。したがって,純然たる感謝の気持ちの表れであれば,素直に受け取ればよいと思われます。ましてや,社交的儀礼の範囲内の金品は「賄賂」にならないという法律解釈もあります。
しかし,どこまでが社交的儀礼の範囲内なのか,人によって考え方が異なり,「1,000円はOK,10,000円はNG」とか,「品物はよいけれど,現金はだめ」など,言い出したらきりがありません。
参考となるのは,佐藤道夫元札幌高検検事長が,その著書『検事調書の余白Ⅱ』の中で述べている,次の部分(要約)です。
「日本はお礼社会であり,横並び社会である。1人がささやかなお礼をすれば,その習わしはたちどころに広がる。もらわないと決めたら1も10もない。1ぐらいならいいという思いは,すでにして10もらったのも同じである。そして患者が,家族が謝礼のことでどんなに頭を痛めているのかを考えることである」
「当院では,医師や看護師に対する謝礼は一切お断りしております」というような掲示をしている医療機関をよく見かけますが,このような掲示をしても,現実には付け届けをする患者はいます。
また,窓口で謝礼禁止の旨を説明しても,患者家族が「受け取ってほしい」の一点張りで,そのやり取りで互いが感情的になり,気分を害することがしばしばあります。さらに,頑なに患者の申し出を辞退したため,お互いに気まずくなり,最悪,信頼関係を損なってしまうことさえあるのです。
さりとて,無条件で受け取れば,「あの病院では謝礼なしではいい治療が受けられない」とか「患者の弱みにつけ込んでいる」といった風評が広がりかねません。やはり,まったく謝礼や付け届けをする必要がないという風土を病院全体で構築し,患者に十分理解してもらうほかないと思われます。
コラム贈与という行為の意味
そもそも「謝礼」とは,いったいどのような歴史の下で現在に至ったのでしょう。贈答のルーツを遡ると,宗教的・民族的なものであり,威力のある神や崇拝する祖先に奉る供物であったということです。その慣習が盛んになったのは,室町時代以降と言われています。
辞書を調べてみると,「謝礼」とは「感謝の気持ちを表すために贈る金銭や品物,言葉など」で,「付け届け」とは「交際上や義理上から金品を贈ること,またはその金品をいう」と記載されています。
「贈る」という行為は,「あなたにお世話になっており,その感謝の気持ちを伝えたいために,いろいろあなたの好みを探して贈りましたが,気に入ってもらえたでしょうか」というメッセージを相手に伝えるものと言われています。したがって,単なる品物だけの場合であっても,このような意味が含まれていると思わなければなりません。
しかし,これは“建前”であって,本音は見返りの期待(もらう側からの恩恵を受けること)が「贈与」なのです。
関係法令など
- 刑法第159条(私文書偽造等)
行使の目的で,他人の印章若しくは署名を使用して権利,義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し,又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利,義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造した者は,3月以上5年以下の懲役に処する。
2, 3(略)
- 刑法第197条(収賄,受託収賄及び事前収賄)
公務員が,その職務に関し,賄賂を収受し,又はその要求若しくは約束をしたときは,5年以下の懲役に処する。この場合において,請託を受けたときは,7年以下の懲役に処する。
2(略)
- 刑法第247条(背任)
他人のためにその事務を処理する者が,自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で,その任務に背く行為をし,本人に財産上の損害を加えたときは,5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
参考文献
- 室伏哲郎:贈る論理 贈られる論理. 筑摩書房, 1989.
- 富家 孝:医者と謝礼のいま. 光文社, 2002.
- ホスピタウン. 2005;163.
- 佐藤道夫:検事調書の余白Ⅱ. 朝日新聞出版, 2000.
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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支払いにまつわる会話術 |
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診察室での会話術 |
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看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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