もつれない患者との会話術
ポイント
医師や看護師やその他の医療スタッフは日々の患者をこなすだけに追われ,患者の思いを考える余裕さえない状況にあります。しかし,患者がどのような思いで医療機関を受診するのかちょっと考えてはいかがかと思います。
解説
●忘れ去られている“医の心”
1972年6月に毎日新聞社より発刊された,榊原 仟著「医の心」が手元にあります。
読んでみると執筆後既に40年以上経過しているにもかかわらず,現在の医療に通じるものがあります。この本の中に医師のあるべき姿として5項目述べられていましたので紹介します。
(1)世の中に幸せを願わない人はいない
健康について言えばまったく健康であるということは望まないまでも,ある限界の健康さがあれば幸せを味わえるが,その健康が失われた状態の不幸を救うのは医業に携わる医師の務めであり,医師は人間の幸せに関与する面が非常に大きいことを悟るべしである。
(2)重い病気では,たとえ治っても正常な状態にはなれない
制約された状態で生活を行い暮らさなければならないことは,患者にとって非常に苦痛なことである。その苦悩を取り払うのには医師一人でできることではないが,精神的負担を少しだけでも軽くしてあげなければならないのが医師の務めのひとつである。
(3)医師という職業は悩みの多い職業である
医師となれば人の「死」という事態に直面することになるであろう。必死で助けようと努力したにもかかわらず,不幸にも死亡したときの悲しみや落胆は味わった経験のある者にしかわからない。患者の死に遭遇して号泣するような心の持主でないと,りっぱな医師にはなれないのである。
(4)医師は常に謙虚でなくてはならない
病気がよくなったといっても,その多くが完全に健康な状態に戻ったということとは違う。薬剤1錠であっても体にとっては異物であり副作用もある。だから逆に効くのであって生体に害を与えないような薬なら服用する必要がない。必要があって服用する以上は効果を上げるためにやむをえないと判断しているのであるから,よくよく考えて本当にその行為が必要なものかどうか考えて行うのが当然である。
(5)医療は必要かつ最小限度にとどめることが必要である
医師の役目は患者の自然治癒を助けることにある。医師がやっていることは,たとえれば自力で下りかけた車を後ろからちょっと押してやったり,坂にころがっている石を取り除いてやったり,下りやすくしてやったりする程度のことであるといってもよい。決して医師の力で治したわけではないことを悟るべしである。
●医師の務めと病気
榊原 仟氏は著書の中で「病気というのは,正常な状態から体や精神の状態が逸脱し,そのために生命の危険があったり,精神的・肉体的な苦痛があったりすることである」と説明し,医療の目標は「逸脱した状態を正常に戻し,苦痛を和らげ生命の危険を回避することにある」と述べています。手術を施行しその結果,死に追いやってしまった場合など「手術をしなければよかったのに」「まだもう少し生きていられたかもしれない」と言われることもあります。しかし,手術することでさらに生き延び,永らえる可能性もあるのです。手術を受けないということは,その機会を捨てることであり,必然的に患者を死に向かわせることになるのです。それゆえ,危険を冒してまで手術を施行するか,しないかの判断は患者の運命を左右することになり,医師の責任は重大です。
●DOCTORの意味
以前,中国から来た医学部生が実習終了近くに日本の医療機関における実習の感想を述べていた中に,非常に興味ある話をしていたので紹介します。それは,英語で医師のことを「DOCTOR」と書きますが,この「DOCTOR」の各文字にはそれぞれ深い意味があるということで,学生独自の解釈をしていたことです。
まず頭文字のDはDevotion「献身」の意味であること。中国には「医者父母心」という諺があるといいます。この意味は「医者が患者に対する気持ちは父母が子どもに対する気持ちのごとく」ということです。父母は子どもに対して無私の愛を奉げるが,医者で一番重要なことは知識や技術ではなく,Devotionの精神である,と。
次の文字OはObligation「責任感」の意味であること。Cの文字はCarefulness「慎重」の意味であること。
Tの文字はTruth「真理」の意味であること。医学が日進月歩の進歩を遂げたとしても,まだまだ治療法さえ確立していない病気があります。病気によっては,ある程度説明はできても,細胞レベルあるいは遺伝子レベルまでは未知の謎の病気も多い。したがって,一生懸命医学の未知の世界を探検し,真理を追究し,医学の発展に自己の力を発揮することが求められるのです。
次のOの文字はOptimism「楽観」の意味であること。医者の仕事は大変つらいことから,楽観的な人格を持つべきであること。楽観的な人格は調味料の役割を果たし,ストレス一杯の日々の生活に味を添え,また患者に対しては病気に打ち勝つ勇気を与えます。
Rの文字はReliability「信頼」の意味であること。医者の発する言葉はどんなに些細なことでも,患者は真実だと受け止めるのです。
学生個人の「DOCTOR」の個々の文字が持つ意味を紹介してきましたが,言われればなるほどと思いました。和訳した言葉だけをピックアップしても「献身」「責任感」「慎重」「真理」「楽観」「信頼」という言葉は,医師にとって心しておかなければならない言葉ばかりであると思いました。
●患者の思い
文化人類学者の磯野真穂氏は,著書(『医療者が語る答えなき世界』ちくま新書)の中で医療という奇妙な現場で行われていることとして,初対面の人(初診の医師)相手に「服を脱ぎ,裸を見せ,触らせる。誰かが自分の体に針(注射針)を刺し,器具(心電図測定装置等)を取り付ける。誰にも話したことのない自分だけの秘密をつぶさに話す」恋人にも,身内にも話さないことを話すことが実は医療の現場で行われているのである,と言っています。なぜ,医師の前でこれだけ従順なのか。それは痛みを,不安を取り除いてほしい,治る希望を与えてほしいということを願い受診するわけであり,医師に対して全幅の信頼を寄せているがゆえであると言っています。このような患者の気持ちを汲み取って真摯に診療に従事していただきたいと思います。
参考文献
- 榊原 仟:医の心. 毎日新聞社, 1972.
- 磯野真穂:医療者が語る答えなき世界. 筑摩書房, 2017.
もつれない患者との会話術
「もつれない 患者との会話術<第2版>」
編者: 大江和郎(東京女子医科大学附属成人医学センター 元事務長)
提供/発行所: 日本医事新報社
目次
総論 |
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窓口・待合室での会話術 |
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支払いにまつわる会話術 |
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診察室での会話術 |
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看護師・医療スタッフの会話術 |
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問い合わせでの会話術 |
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