しくじり症例から学ぶ総合診療
症例 患者:Aさん,80歳代,女性
Aさんは高齢の夫と2人暮らしをしていた。夫は認知症が進行,合併したリウマチ性多発筋痛症を契機に寝たきりとなった。この間,近隣に住む娘にサポートされながら熱心に在宅介護を行ったが,精神的な疲労も重なっていた。食事がとれなくなり,徐々に老衰していく夫の姿を受け止めるのに精一杯で,涙することも少なくなかった。それでも懸命に介護を続け,夫の最期は自宅で安らかに迎えることができた。
それから数年が経過し,娘に連れられ診療所の外来を受診した。最近どんどん年老いて,もの忘れも目立つという。本人は首を傾げており,病状の自覚はないようである。日常生活で困ることはないかとの質問には,両膝の痛みがある程度で,その他は特に問題ないという。元来,医者嫌いで,健診はおろか,医療機関にはほとんどかかったことがないという。
収縮期血圧は200mmHgを超えており,胸部の聴診では両側にcracklesを聴取した。胸部CT検査では右上肺野の腫瘤状陰影,びまん性の網状索状陰影がみられた。また,長谷川式認知症スケールは17点であった。血液検査ではごく軽度の糖尿病がみられた。後に基幹病院で行った胸部CT検査では,非結核性抗酸菌症が疑われた。
しくじり診療の過程の考察
このような状況がいつからあったのだろうか……。もう少し早く介入できなかったのだろうか。これまで幾度となく介入するチャンスがあったはずであるが,少なくとも,夫との関わりの中で,もう少し声かけができていたかもしれない。それ以降はどうだっただろうか。まったくの初診の患者であればやむをえないとも感じるが,限られた時間ではあったが濃厚な関わりがあっただけに「しくじった」と自責の念にかられた。
夫が他界したあと,一度挨拶に来たことはあったが,その後,関係はほぼ途絶えていた。夫を自宅で無事に看取ったことは,家族だけでなく,関わった我々にとっても大きな達成感を得られるものであったと思う。しかし,それは決して終着点ではない。引き続き,残された家族の健康問題に関わっていくことが我々の役割である。場合によっては,配偶者の死後,うつ状態が遷延するかもしれない。ここ数年の間,風邪をひいたり膝や腰の痛みを感じることもあったことだろう。せめてワクチン接種や健診を受けにきてくれていれば,早めに対応することができていたかもしれない。
だが幸い,まだ脳卒中が生じたわけでもなく,悪性腫瘍が見つかったわけでもない。血圧については降圧が必要だろう。非結核性抗酸菌症に関しては,早期発見が必ずしもメリットにつながるとは言いがたい。認知症は数年早く予知できていたとしても,結局は予後を大きく変えることは期待できなかったであろう。それであれば,今回の受診はむしろ良いタイミングであり,まさにこれから介入が求められるのではないだろうか。夫を看取って数年,娘とともに再び当院を受診してくれたことは,逆によかったことなのかもしれない。
こうすればよかった,その後自分はこうしている
ヘルス・メンテナンスの主要4項目である①スクリーニング,②カウンセリング,③予防接種,④予防投与で,スクリーニングはその病態の症状や徴候,自覚のない人々を対象に特定の病態を拾い上げるために行われる一連の問診,診察,検査を指す。家庭医/総合診療医にとって,包括的なケア,あるいは“おせっか医”の視点から,適宜,妥当なヘルス・メンテナンスを勧めたい。ただし,診察室の中からは手が届く範囲が限られている。そうでない(診療所に来ない)人たちにはなかなか手が届かない。アウトリーチが必要と言われる所以である。
また,勧めるべき項目,内容には科学的根拠が伴わなければならない。日本では,症状のあるなしにかかわらず広く健康診断が行われているが,世界的には包括的スクリーニングに関して疑問を示す研究も複数ある。「この検査,念のためにやっておきましょう」は,「検査をしてもらった」と受診者の安心感を得られるかもしれないが,デメリットがあることには気づきにくい。健診で指摘される新たな健康問題に対して,健診を受けなかった場合に比べ早く治療介入することができたことで,結果,予後が改善して初めてメリットがあると言える。ところが実際はなかなかそうならない。
過度な検査や治療を受けることを助長するのは,精査に回される偽陽性患者にとって,心因的負担が大きなデメリットとなるだろう。全体的にはメリットとデメリットが相殺され,結果,科学的根拠は乏しい項目が多く存在していることに留意する必要がある。大腸がん,子宮頸がん,乳がん,肺がんについての検診は,あるいは喫煙や過度のアルコール摂取への介入,うつなどに関するスクリーニング,血圧測定などに関しては妥当性を示唆する根拠も積み重なってきており,日常診療で広く勧められるだろう。比較的日本人に有病率が高い胃がんに関しても,あるいは了解できる範囲かもしれない。見つかった際の心理的インパクトが大きいこともあり,悪性腫瘍に対する早期発見にドライブがかかりやすい背景があることは否めない。
また,既往や家族歴などから生じうるcommonな病態,病状については敏感になっておく必要がある。上記の一般的な話とは異なるからである。たとえば,肺がんで看取った患者の息子が風邪で受診した際には,「喫煙されていますか?」「X線写真をとっていますか?」と声をかけるなどである。
また,長年,家族を含め継続的な診療を行っている家庭医/総合診療医にとっては,「関係性」が重視される場合もあるだろう。「健診を受けましょう」が,「あなたの健康と,今後のことが気がかりです」というメッセージにもなりうる。あるいは健診を通して「健康や日常の生活スタイル」を考えるきっかけになるかもしれない。「健診」が,その人にとってどのような意味があるかを含めて提案することを心がけている。ただし,実際には十分な理解のために誠意と労力を要するものである。
健診を有効に機能させるために,診察室でできることは限られているかもしれない。健診を受けた人たちには「来年もまた健診を受けよう」と思ってもらえるように働きかけ,同伴する家族にも「健診受けていますか?」「困ったことはありませんか?」と機会を見て気軽に声をかけるように努めている。
このしくじりは,すべての世代,すべての地域で起こりえます。高齢者の健診についてのみならず,“おせっか医”の視点にまで言及した実に示唆に富む事例です。しかし一般的に,医師―患者関係が成立していない場面における,個人や家族に対するヘルス・メンテナンス・アプローチはかなり難しいのではないかと考えます。したがって,考察でも触れられていますが,夫が他界するまでの診療の場において,積極的な家族への介入,すなわちAさんやAさんの娘の健康管理にどのように関わることができるかという点が重要です。たとえば,「あなたが倒れると旦那さんも自宅で暮らしていけなくなってしまいますよね」と声がけしながら,毎日の夫のバイタルチェックとともに,Aさんの家庭血圧の記録などを通して自身の体調管理を促し,さらに今までのAさん自身の健診記録など,健康・疾病に関する情報を「健康ファイル」(図1)1)にまとめてもらい,その情報を共有しながら,診察室外へのヘルス・メンテナンス・アプローチへつなげていくという方法があります。
長らく家庭医療に携わっていると,2人暮らしで在宅寝たきり患者の介護者の方が先立ってしまい,残された方の在宅生活も破綻してしまうという場面にしばしば遭遇します。この事例では,幸いにも介護をしていたAさんが存命で,再び診療の場に訪れてくれたという事実は主治医への厚い信頼の証であり,このことはAさんのみならず,Aさんの娘へのヘルス・メンテナンス・アプローチに大いに役立つことでしょう。良い“おせっか医”を常にめざしていきたいものです。
文献
- 地域医療のゆくえ 健康ファイルの使い方 最新情報.
しくじり症例から学ぶ総合診療
「しくじり症例から学ぶ総合診療」
編者: 雨森正記(弓削メディカルクリニック院長)
監修: 西村真紀(川崎セツルメント診療所所長)
提供/発行所: 日本医事新報社